10 月 01

 

比叡山頂への登り道で「智証大師円珍のご廟」を、また下り道では雲母坂に沿った山の尾根のなかほどにある「水飲対陣の跡碑」と「千種忠顕の戦死の地」を辿ってみました。   前者は天台座主で天台宗寺門派の開祖です。  また後者は南北朝時代の公家。後醍醐天皇の側近で足利勢と戦って戦死した建武中興の功臣です。  山中の道で遭遇したのは樹上で枝葉をゆらす猿が一匹だけでした。     さて、この日のハイライトは何といっても下山の地、赤山禅院で体感できた滅多にお目にかかることのない珍しい「鳴り釜神事」です。     この神事は、祝詞の最中にお釜を焚いて牛の咆哮に似た音をだすのです。  この音の鳴りが悪かったり止んだりした場合は凶兆とされます。  音の鳴っている釜を持って神官が加持を行い赤山内を歩き、祓い清めて「無病息災」「家内安全」の祈願を行うのです。   不思議なのは、なんの仕掛けもなくて、ただ釜で湯を沸かしその上にすのこを敷いたセイロに米を入れ、混ぜるだけで牛やボイラーがうなる様な大きな音がでるのです。  ( どうも音は米と蒸気などの温度差によって生じる振動らしいのですが相当な修行が要りそうです)   神事の後は居合わせた人々に、祭事のお米とお釜の湯が振る舞われました。   お茶ではなくて、ただのお湯なのですがこれがなんとも爽やかな味で山道の疲れを完全に癒してくれました。  

 (写真説明)     上から比叡山の山頂、智証大師の御廟、千種忠顕戦死の地碑、

             赤山禅院の鳴り釜神事

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9 月 25

西陣にある浄土院は 「茶くれん寺」 の名で呼ばれ、通称寺の代名詞のようになっていますが、もうひとつの「茶くれん寺」が八幡市橋本にもあります。 (正式の寺名は西遊寺)   前者のいわれは豊臣秀吉が九州征伐を記念して北野天満宮の茶会に出席した帰りに寺に立ち寄りお茶を所望したところ、当時の住職が茶人の秀吉に未熟な茶をだすのをためらい、さゆばかり出したそうです。  秀吉は住職の思いをくみ「ここは、お茶をくれん。湯たくさん茶くれん」といつた由。  以来、山号と寺名の組み合わせのように「湯たく山茶くれん寺」と呼ばれるようになったそうです。    なお、お寺の屋根には楽長次郎の作とされる唐の僧侶、寒山、拾得をかたどった像がおかれていますので見逃せません。   また後者は秀吉が天王山で明智光秀と戦った山崎の合戦の際に当寺に立ち寄り、お茶を所望したところ同様にお湯ばかりが沢山でたそうです。   前者ともども秀吉の洒落から通称名になったようです。     またこのお寺の敷地には鳥羽伏見の戦いの時に南方のくずはにあった幕府軍の本陣(久修園院)の砲台弾薬庫が移築されており、現在もそのまま残っていますので一見の価値があります。  京阪電車の橋本駅の改札口の前に立つ石碑には「湯沢山茶久蓮寺」と漢字で書かれており、また横面には昔の粋人にとって懐かしい「橋本渡舟場3丁」との表示があります。

( 写真説明)   上から京阪橋本駅前の石碑(西遊寺の向かい側)、西遊寺正面入り口、

           浄土院正面入り口、屋根の像

(場所)       浄土院は上京区今出川通り千本西入北側

           西遊寺は八幡市橋本中ノ町46番地

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9 月 20

 

桂小五郎([1833~1877、後の木戸孝允)は長州藩士で吉田松陰の門下生。  尊攘倒幕運動に指導的役割をはたし西郷隆盛、大久保利道とともに維新の三傑と言われています。       禁門の変で活躍し池田屋事件では新撰組に襲われましたが逃げのび、のちに坂本龍馬のあっせんで薩長連合の密約を結び倒幕派の結束を図りました。  長州藩の京屋敷は現京都ホテルオークラの敷地になっています。(長州藩屋敷跡の石碑があります)        桂小五郎の銅像は写真の通りホテルの西側に建っているのですが、意外に知る人が少ないのです。       禁門の変で京をひきあげた長州勢のうち桂小五郎は芸妓,幾松に助けられて幾度か新撰組の切り込みを逃れました。  幕末維新に命をかけた二人のロマンスはいまも語り継がれているところです。   木戸孝允は土手町夷川上るの別邸で没。 現在京都市の職員会館「かもがわ」の入り口南側に一部の屋敷が残っています。   なお東山霊山に墓碑があります。

(写真説明)   上 は桂小五郎の像  下 は木戸孝允の屋敷跡

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9 月 14

鴨川の源流の地、洛北の雲ケ畑は京都バスで出町柳から岩屋橋まで約50分の距離なのですが、1日往復6便しかないので効率的な日帰りには工夫がいります。  バス停から約1.5キロの行程。  志明院の前にある貼り紙の 「熊の出没に注意!」 を見ると山奥にいるのだとの実感が湧きます。     寺伝によれば役行者が創建(650年)、後に弘法大師が惇和天皇の命で再興(829)したとのこと。  本堂には空海の直作と伝える本尊で日本最古の不動明王が、また奥院の根本中院には菅原道真の手彫りと伝える眼力不動明王が安置されています。     また境内には歌舞伎「鳴神」で有名な鳴神上人が竜神を閉じ込めた所と伝えられる護摩洞窟があります。     うっそうたる老木の生い茂る中に巨岩や怪石がむらがりそそりたつのを横目に石段を上がると岩壁に架設した舞台造りの足場があり、暗い洞窟の奥に眼をこらすと目指す鴨川の源流の湧き水が現れます。           全山が修験道の行場のため楼門からの外観をのぞいて撮影は禁じられており、霊泉などの感動的な写真をご紹介できないのは残念ですが百聞よりも一見にしかずです。   そのほか近隣の社寺としては、岩屋橋を渡ったところに惟喬親王(文徳天皇の第一皇子)の霊を祀った惟喬神社が、またバス停、中畑の近くには親王が閑居されていた高雲寺址などがあります。

( 写真説明)  上は岩屋山志明院の楼門  

          下は高雲寺址の石段、登り口 

(場所)       北区雲ケ畑井谷町  

(宗派)       岩屋山不動教の単立寺院

 

 

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9 月 10

夏も終わりに近い夕暮れ時。 夜のとばりとともに宇治川の川面に松明が映え、女性2名の鵜匠と鵜がおりなす幽雅な世界が開けます。    鵜飼舟は長良川をはじめ全国に12箇所(京都は嵐山とここ宇治川)にあり、つい最近には山梨県で鵜飼サミットまで開かれています。  鵜が捕獲するのはアユのほかにフナ、ハエ、ブラックバスまでありますが、鵜が苦手とするのはウナギだそうです。   説明によれば、鵜が飲み込むのに難儀するので鵜難儀(ウナギ)と言うのだそうです。 (本当かな?)

ご存知の鵜匠は風折烏帽子に腰蓑スタイル。  水を透して人の姿が映り、魚が逃げないように黒い装束をまとうのだそうです。    キャリアは船頭が10年、鵜匠は10年~15年の経験を積んではじめてベテランの域に達するそうです。   乗船客の舟べりに鵜を近づけて頭を触らせたり、視角を変えてのパーフォーマンスなど旺盛なサービス精神に徹して大人も子供も楽しませてくれます。

期間は9月28日まで

乗り合の乗船時間は午後6時30分  場所は宇治橋上流の塔の島

(写真説明)   上は妙技を披露する女性鵜匠

          下は塔の島にある鵜の棲家小屋

 

 

 

 

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9 月 04

京都の洛西、高雄から清滝川に沿って約5キロあまり、中川北山町は川端康成の「古都」の舞台になってから,北山杉の里として一段と知名度が高まりました。     北山杉は平安京のころから高級建築に利用され、茶の湯の隆盛に伴い、茶室など数寄屋普請にも用いられるようになりました。    桂離宮、修学院離宮や島原の角屋などは北山丸太を使った数寄屋づくりの代表的な建築です。    北山杉が天に向かってすくすくと伸びる姿は美しく古い歴史を秘めながら明日へ発展する京都のシンボルとして昭和41年に『京都府の木』として選ばれています。

(写真説明)  上は 『京都府の木」 の選定記念碑   下は最古で最大の台杉(樹齢600年~650年、宗蓮寺に近い山中)

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9 月 01

円山応挙(1733~1795)は丹波の穴太(現亀岡市)の農家の生まれ。  はじめは狩野派の石田幽汀に学びましたが、その後、彼独自の新しい画風としての写生画を完成しました。          三井寺円満院門主の知遇も得るなど画家としての名声は高まり円山派の祖として京都画壇の礎を築きました。 応挙がいかに画筆に忠実であったかを知るうえでのエピソードがあります。    彼が描いた猪の寝姿の図を見た老翁に病気の猪であることを指摘され、写生の場所に行って調べてみると確かに病死していたことがわかり、改めて健康な猪に書き換えた話。 また馬は草を喰うときに、草で眼を傷つけるのを避けて眼をとじるもの。 しかし描かれた馬は鼻づらを草むらの中に入れて眼を開けていたので明き盲の馬だろうといわれて躊躇なく書き直したなどです。

応挙は四条通り堺町東入る南側に住み(宅跡の碑があります)大雲院(5月26日のブログをご参照)を製作の拠点にしていました。 1788年の天明の大火で大雲院のアトリエが焼失の後は一時、郷里の亀岡、金剛寺に移りました。          応挙とその一門の筆になる障壁画が応挙寺と呼ばれる大乗寺[兵庫県香住)に165面あり全て重要文化財に指定されています。  これらの作品群は既に,レプリカへの入れ替が決定していますので、実物を本来の形で見られるのはいまのうちです。 なお墓所は太秦の悟真寺の境内墓地にあります。  なお金剛寺は応挙が子供の頃に世話になり、また大乗寺は修行中の貧しい頃、当時の住職に学資の援助を受けたご恩返しとして障壁画を描いたそうです。         なお亀岡市の穴太寺(西国三十三所観音巡礼の第21番札所)の東側の空き地に応挙生誕の地の石碑があります。

(写真説明)   上 は大乗寺の芭蕉の間の「郭子儀図」

           (応挙が55歳のときの作品)

           中 は大乗寺の円山応挙の像、

           下 は応挙の墓所。(広隆寺の東北隅、

           悟真寺の境内墓地)     

           

 

 

 

 

 

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8 月 30

京都府立植物園は大正13年(1924年)の開業、敷地約7万3千坪です。   最近の朝日新聞のアンケートの結果によれば、東京の新宿御苑と小石川植物園についでベストテンの3位にランクされています。  園長みずから毎月ガイドツアーを買って出ているのも人気の源なのでしょう。    平素は本命の植物に眼を奪われがちですが脇役にも焦点をあててみました。    ①随所に点在する雰囲気のある彫刻 (全13点) ②なからぎの森にある半木神社 ③正面の入り口を入った右手にある明治天皇の御製の歌碑などです。  神社は流木神社ともいい、上賀茂神社の末社で祭神は天太玉命です。 この周辺は京都絹織物発祥の地といわれ織物業の守護神であり植物園の守り神としても崇敬されています。  明治天皇の歌碑は日時計を詠まれたと思える ” 時はかる器は前にありながら、たゆみがちなり人の心は ” といつの世にも通じるよい歌だと思います。

折角の機会ですのでワイルドガーデンにある最近話題の珍しい植物も二点取り上げてみました。  ヘビウリ(センナリビョウタンやナガビョウタンに混じって本当にヘビのような形をしたウリ)と甲子園ナス(実が野球のボールに似ていて大きいものは直径5cmもあります。    園長のガイドツアーのスケジュールは9月は28日、10月は26日、いずれも午後1時に植物園会館前集合です。

(写真)  上から甲子園ナス、ヘビウリ、半木神社、彫像

 

 

 

 

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8 月 28

酒蔵のまち伏見の名物のひとつは十石舟・三十石船です。   江戸時代の京都と大阪を結ぶ交通は淀川を往来する船が中心でした。

その船を復元して、往時の面影をしのび、伏見港の歴史の変遷を、川面からの視点で体感することができます。   

現在、弁天橋から三栖閘門まで濠川を約55分かけての往復ですが、水辺の景色もさることながら、途中で下船して立ち寄る三栖閘門の展望スポットからの眺めはなかなかのものです。    岡崎でも櫻のシーズンに十石舟が運行しますが、見応えのあるのは、こちらの方ではないでしょうか。

(写真)   上は乗船場    下は三栖閘門

 

 

 

 

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8 月 25

5月5日付のブログで 「出町柳は駅名であって地名ではない」 と書きましたが、東大路通りのバス停留所「東山安井」もその一つといえます。  実際に地名もなければ町名もないのに安井という呼称がついたのは、おそらく安井金比羅宮があるからでしょう。   ちなみに、この神社は、元禄8年(1695)、太秦安井にあった蓮華光院が当地に移建されその鎮守として崇徳天皇に加えて讃岐金刀比羅宮より勧請した大物主神と源頼政を祀ったことから安井の金比羅さんの名で知られるようになりました。

ごく近くには祭神、崇徳上皇の御廟があります。  上皇の寵愛が篤かった阿波内侍はご遺髪を請いうけて一塚を築き亡き上皇の霊をお慰めしたそうです。   なぜか御廟の管理は上京区の白峯神宮なのです。   聞けば慶応4年(1868)に、政府の転覆を危惧した明治天皇が保元の乱に破れ讃岐で憤死した崇徳天皇の神霊を讃岐の白峯陵から京都へ帰還させて白峯神宮を創建されたからとのこと。 (白峯神宮の祭神は崇徳天皇と惇仁天皇です)   安井金比羅宮の見どころ、は絵馬舘、縁切りの碑、四角の鳥居、久志塚などです。  古い櫛の供養のため毎年9月の第4月曜日に櫛祭りが行われますが、あでやかな行列はあたかも女の時代祭りのようです。

(写真)  下は崇徳上皇の御廟(東山区祇園歌舞練場東側)

       上は安井金比羅宮の珍しい柱が四角の鳥居

(場所)    東山区東大路通松原上る西側 バス停留所 

        「東山安井」下車

 

 

 

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