「生け花」の発祥はお寺から

①生け花  華道の源流は仏前の供花に始まるとされています。六角堂(頂法寺)の場合、住職は、池の傍らに住坊を構え「池坊」と呼ばれました。また聖徳太子に仕えた小野妹子が出家して専務と称し、「専」が家元の通字ともなっています。そして住職と家元は兼務が通例です。ちなみに池坊の次期家元は池坊史上初めての女性が予定されています。②華道の歴史  室町時代に床や書院での瓶花の観賞から、花を立てる専門家が登場します。中でも立花の名手といわれたのが専慶です。以後「立花」が池坊の家業になります。また16世紀になると立花の理論が完成。専応が著した「花伝書」は「専応口伝」の名で知られ、その内容は単なる装飾から一歩踏み込んだ「立花」の理念と心得・技法などが示されています。さらに安土桃山時代から江戸時代にかけて、大名や宮中での立花会で指導的な役割を演じた専好が「立花」の大成を果たします。やがて茶の湯の「抛入花」が独立して「生花」が流行するようになると巾広い層の支持を得て、家元制度や今日の「自由花」へとつながってゆきます。 なお京都いけばな協会加盟の35流派によるいけばなの展示会が、国民文化祭のイベントとして華々しく予定されています。(平成23年11月5日~6日、場所は下鴨神社) ③六角堂  御堂が六角の円堂になっているのは、迷い悩む人の心を御堂のように六つの角をつないで、円やかな和になるようにとの願いからだそうです。観音菩薩に手が六つあるのは、六道で苦しむ者すべてに救いの手を差し伸べるためだそうです。以下に池坊ビルと六角堂境内の中からポイントを選んで写真に簡単な説明を加えてみました。

いけばな資料館 (昭和51年の池坊ビル竣工時に3階に開館、いけばなに関する歴史資料を中心に常時展示、「場所」中京区六角通東洞院西入)

本堂の六角宝形造り屋根 (ビルの9階からの展望)

へそ石 (平安京造営の時に、お堂の位置が道筋に当たるので、勅使が祈ると六角堂が自ら北へ退いた由。その跡に残った礎石で京都の中心に位置するといわれています)

聖徳太子沐浴の古跡(太子が四天王寺建立の用材を求めててこの地に入った時、泉に出会い、疲れを癒そうと沐浴をします。浴後、そばの多良の木の小枝に掛けていた念持仏が木から離れず光を放って、ここに御堂を建てるようにとのお告げがあり、この観音を祀る六角堂を建てたという)

親鸞堂の内部 (親鸞聖人は毎夜、比叡山を降りて六角堂に100日参篭されました、右は夢のお告げを聞いておられる「夢想の像」左は自刻と伝える「草鞋の御影」です。

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「生け花」の発祥はお寺から への2件のコメント

  1. nahoko sintani より:

    拝啓 2
    仏さまのお花 お寺によって すごく 違います。
    私は 嵯峨大覚寺 と 漫殊院 のお花が とても 好きです。
    嵯峨菊の季節ですね。

  2. sakuragai6 より:

    nahoko sintaniさま
    有難うございます。そういえば六角堂(頂法寺)のことだけしか書いていませんが、お寺関係では仁和寺の御室流、東福寺や本能寺の未生流などいろいろありました。曼殊院には重文の立花図が沢山あるみたいですね。
    「嵯峨菊」は本当に繊細で可憐な感じで、いいね!です。
     

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