大学のキャンパスの隠れ遺跡

京都の各大学の構内には、よく見ると面白い遺跡が点在しています。日常的に出入りする学生たちも意外と気がつかずに見過ごしているのではないでしょうか。

①義経の腰掛石 (京都薬科大学)  義経の「蹴上の石仏」に関する伝説は有名ですが、9人の侍を斬り倒した後で、腰掛けて休息したという石がグランド内の南側にあります。また隣接するブロックの塀ごしに下を覗くと、民家のそばに義経が刀を洗ったという血洗池もあります。なお現在グランドは工事中ですが、平成23年10月に公園が完成の後は見学できます。

②臥牛石と南蛮寺 (同志社大学)  前者はクラーク舘の前にあります。菅公が大宰府に行く途次、荷を運んだ牛が別れの場所で化石になったとの説もありますが、もとは同舘内にあった宗教博物館に展示されていたものです。また後者は図書館の前の植え込みにあります。日本で初めての本格的な教会「南蛮寺」に使われていた礎石で学術的にも価値のある遺跡です。また京田辺キャンパスにある継体天皇の「筒城宮」の顕彰碑については平成23年2月22日付の本欄「竹取物語」ゆかりの地で触れています。

③火葬塚と崇徳塚 (京都大学)  前者は北部構内のキャンパスの一角にあります。火葬された人物は不明ですが、おそらく高位の貴族か皇族のものと思われます。後者は医学部の納品検収所の西にあります(写真は直近の「崇徳天皇の霊と鎮魂の地」をご参照ください)。なお遺跡ではありませんが、面白いのは京大病院にある「全快地蔵」です。近代医学と信仰の共存という組み合わせは、なんとなくユーモラスではありませんか。

④療病院碑 (京都府立医科大学)  正門を入ったところに、府立医大の前身「京都療病院」の記念碑があります。療病院は蘭学医・明石博高が明治4(1871)年に創設。当初は御池木屋町東でドイツ人医師らによる診療を開始しました。その後、青蓮院に移るなどの経緯をたどり明治13(1880)年に現在地の河原町広小路に移転、大正13(1924)年に京都府立大学付属病院となりました。近代医学の息吹を伝えるメモリアルな石碑といえます。

京都薬科大学のグランドの中にある「義経の腰掛石」、グランドは本館とは別の三条通りから南西の方角に位置します。

京都薬科大学のグランド南に隣接する血洗池(草むらの間に水面が覗いている)

同志社大学クラーク舘の前にある臥牛石(北野天満宮で最も美しいといわれる牛に似ている)

同志社大学の図書館の前の茂みにある南蛮寺の礎石

京都大学の北部構内のキャンパスの一角にある火葬塚

京大病院の入り口北側にある全快地蔵(近代医療と信仰の共存)

京都府立医科大学付属病院の正門の正面にある療病院碑

御池木屋町東にある療病院址碑(最初に診療を開始した場所)

sakuragai6 の紹介

京都を愛する、ロマンティストの男性シニアです。
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