安寿と厨子王の舞台をたずねて

森鴎外の小説「山椒太夫」で有名な安寿姫と厨子王の悲しい物語は丹後由良が舞台ですが、京都市内にもゆかりのお寺があります。   人買いにだまされて母と離れて由良の湊の山椒太夫のもとで過酷な目にあう幼い姉弟。苦しさにたえかねた二人は相談して別々に逃亡を試みます。川を渡った姉は山また山の険しい旅に疲労と空腹のため、かつえ坂で哀れにも短い生涯を終えます。弟は山を越えて国分寺にかくまわれた後、丹波をへて京に上ります。

①権現寺  下京区七条千本の商店街の近くにあるこのお寺の権現堂に、二体のミニ地蔵尊があります。ひとつは愛宕権現の将軍地蔵ですが、もうひとつが厨子王を追手の危機から救ったと伝える地蔵尊です。胴には身代わりに受けたという傷があります。また厨子王が身を隠したという皮のつづらも一部残っているそうです。なお由良の如意寺にも二人が逃げないようにと、その額に焼印を当てられた時、身代わりになったという地蔵尊のほか山椒太夫の首塚などがあります。

②安寿姫塚  舞鶴の建部山のふもとに里人がつくった祠がひっそりと残っています。なお安寿姫は陸奥の国(青森県)の岩木山の神として祀られています。霊は故郷に戻って岩木権現となり、丹後の人が津軽に入ると荒れて暴風を起こしたそうです。

③安寿姫と厨子王像  姉弟の二人が由良川を挟んで、日本海の彼方に、別れた母への思いを寄せる姿です。  

④汐汲浜  由良の浜の西方、奈具の海岸寄りに大きな岩があり、安寿姫が毎日塩水を汲んだ浜といわれ石碑が建っています。

権現寺の境内と権現堂 (下京区朱雀裏畑町22) 厨子王が丹波を経て七条朱雀野までたどりついて、助けを求めてこの地蔵堂に逃げ込んだという。

金銅製の二体の小像のうち下の地蔵が厨子王の身代わりとなったとつたえる地蔵尊、(公開は毎年8月下旬の一日のみ)

舞鶴市の建部山の麓にある安寿姫塚

安寿姫と厨子王が並んで海を眺めている像(由良の浜近く)

汐汲浜の碑 (安寿姫が毎日塩水を汲んだとされる由良の浜)

sakuragai6 の紹介

京都を愛する、ロマンティストの男性シニアです。
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安寿と厨子王の舞台をたずねて への2件のコメント

  1. ヘルブラウ より:

    子どもの頃に読んだこのお話は最も理不尽な悲しい話の最大のものでした。
    母親との別れ、姉との別れ、でも救われたのは厨子王の逃亡成功でした。
    さくらがいさんの今日の記事で思い出し、あの頃に気持ちだけでも戻れたようでした。

  2. sakuragai6 より:

    ヘルブラウ様
    安寿の協力や神仏の加護を得て、厨子王は一国の領主となり人身売買による強制労働の加害者への復讐を果たし、別れた母とも佐渡で再会するという話です。でも安寿が美空ひばりの歌「リンゴ追分」にでてくる岩木山の神として祀られているというのは意外でした。

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