①竜安寺 NHK大河ドラマの「江」が最初に結婚した相手は尾張の大野城(常滑市)の城主佐治一成でした。江が一成に嫁いだのは天正12(1584)年。ところがその年、秀吉と徳川家康・織田信雄(のぶかつ)が戦う小牧・長久手の戦いが起こり信雄の家臣だった一成が秀吉と敵対する形になりました。秀吉は茶々が病気だと偽って江を呼び出し、そのまま江を大阪城に抑留、強制的に離婚させました。一成は後に信長の弟・織田信包に拾われるわれることになり信包の家臣となりました。晩年の信包は京都に隠棲し葬儀も竜安寺で行われました。方丈西側の墓地には佐治一成、信包らの墓があります。
竜安寺の墓、右から二つ目が佐治一成、その左はお振(信長の娘)の墓
②養源院 文禄3(1594)年、豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政の追善供養のために創建。一度は火災で焼失しましたが、淀殿の妹で徳川秀忠夫人になった江(後に崇源院)の願いにより、元和7(1621)年に伏見城の遺構を移築して再建しました。廊下の天井には伏見城落城で自刃した武将たちの血のりのしみた有名な「血天井」が使われています。崇源院(江)の像や境内には立派な江の石塔墓があります。なお、お市の方の石塔墓も少し離れたところにあります。
養源院の境内にある「江」の石塔墓