仁徳天皇は民のかまどの煙を、生活レベルのバロメーターとして為政に配慮をしました。総本山の集積する宗教都市・京都も過去に幾度か自然災害に遭遇していますが、そのときには寺が、かめを溶かして釜を作りかゆを炊くなど、炊きだしに協力したり、僧侶が行き倒れの人を供養して回ったという話を聞きます。東日本大震災の復興に向けて何ができるかが問われる時です。煙は出ていませんが代表的な社寺の「竈」です。
① 竈社(かまどしゃ)
北野天満宮の東門を入ったところに祀られている祠で、台所や竈の守護神とされています。もともとは北野社で神に供える食物を調理する御供所(ごくしょ)に祀られていたようです。建物の隙間から中を覗くと、大きな鉄釜が安置されていて、なにか不思議な光景を見るようです。祭神は家庭の守護神とされている庭津彦神と庭津姫神と火を司る神の火産霊神(ほむすびのかみ)の三神です。境内摂社では八坂神社と下鴨神社の相殿にも竈社があります。
竈社(北野天満宮の境内社)の鳥居は明智光秀の寄進によるものです。
竈社の建物の内部(釜が帽子を被ったようで、相当人数のご飯が炊けそうです)
② 塩竈の跡 (十輪寺)
平安時代の歌人で「伊勢物語」の主人公・在原業平が晩年に隠棲し塩焼の風流を楽しんだと伝えられる竈跡が境内の裏山にあります。「小塩」の地名はこの故事に由来しています。想人であった二条后(藤原高子)が大原野神社に参詣される時、ここで紫の煙を立ち上らせて昔日の恋を偲びあったと伝えられています。業平の墓も近くにあります。
在原業平の塩釜の跡 (十輪寺境内の裏山)