ふたつの伏見城

豊臣秀吉は天正19(1591)年、関白の位と京都の居城・聚楽第を甥の秀次に譲り太閤になりました。そして文禄元(1592)年に伏見の「指月の岡」に隠居のための城を造営しました。これが「指月城」ともよばれる最初の伏見城です。その後、城の拡張整備を続けて、ほぼ完成した慶長元〔1596〕年、おり悪しく発生した大地震で建物はあえなく崩壊しました。このため秀吉は北東側の木幡山に新たな城郭(木幡山城)を建設して城下町の造営を進めました。この二つの城を総称して伏見城と呼んでいます。指月城の跡地には団地などが建ち並んでおり痕跡は殆どありません。一方、木幡山城の跡には明治天皇陵が築かれ遺跡は宮内庁の管理になっています。なお当時の石垣が桃山御陵の参道脇、御香宮神社の境内、桃山東小学校門内などに残っています。

明治天皇伏見桃山陵 (正面の奥に見えるのが木幡山城跡地)

 

御香宮神社にある伏見城の石垣の残石(伏見区御香宮門前町)

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