福祉施設のなごり 悲田院

悲田院は聖徳太子が貧しい人や孤児を救うための施設として、建てられたのが始まりといわれてい

ます。天平2年(730)に光明皇后の発案で平安京に病人や孤児のための施設が、左京と右京

の2箇所に建てられ、施薬院の別院として皇后の官職・管理下におかれました。そのひとつとして

残った遺址が地下鉄・京都市役所前駅の地上出口にあります。現在の悲田院は精神の安定を

求める寺院として泉涌寺の山内にありますが、市街の眺望が素晴らしいところです。寺宝は快慶作

という宝冠阿弥陀如来坐像、土佐光起・光成親子の襖絵、水琴窟の庭などがあり、法事がないとき

には拝観することができます。

   悲田院の入口、朱塗りの山門 (東山区泉涌寺山内町35)

    悲田院の山門を入ると落ち着いた、景観が広がる

     悲田院の境内から見る、美しい市街の展望

   かつての悲田院の遺址 (地下鉄、京都市役所前駅、

   三条河原町西側に近い地上の出入り口にある )

sakuragai6 の紹介

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福祉施設のなごり 悲田院 への2件のコメント

  1. ヘルブラウ より:

    こういうお話を聞くに付け聖徳太子の素晴らしい政治性、
    当時の政をされたお方の人徳を想い現代の政治家の程度の低さが
    嘆かわしく想われます。
    この院は昔から悲田院と呼ばれていたのでしょうか、
    悲ではなく喜、希のほうが合いそうですねぇ~・・・戯言

  2. sakuragai6 より:

    ヘルブラウ様
    いつも有難うございます。 ご意見同感!! 「悲田」とは、慈悲の心で貧窮病者などに恵みを施すと、福を生みだす田となるという意味のようですよ。 悲田院はもとは、聖徳太子が大阪の四天王寺に四箇院(悲田院、敬田院、施薬院、療病院)のひとつとして建てられたそうです。

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