もうひとつの三十三間堂

三十三間堂(正しくは蓮華王院)の長大な堂に並ぶ千一体の観音像は見る者を圧倒する迫力が

あります。 長寛2年(1164)後白河法皇は平清盛の援助により法住寺殿内に蓮華王院という寺を

建てましたが、その本堂が三十三間堂です。 然し三十三間堂と呼ばれた建物は蓮華王院だけで

なく、それより30年以上も前の長承元年(1132)に鳥羽法皇の勅願を受けて平忠盛が建立した

得長壽院があります。 平忠盛はこの得長壽院建立の功績で殿上人の座を手にして昇殿を許され

ることになり平家隆盛の礎となりました。 つまり忠盛と清盛の父子は鳥羽法皇と後白河法皇の

父子のために別個の三十三間堂を造進したわけです。 なお得長壽院は元暦2年(1185)に地震で

破損し、さらには建長元年(1249)に蓮華王院とともに市中の火災で焼失しました。   文永3年

(1266)後嵯峨上皇により旧観を復元し再建供養されたのが現在の三十三間堂(蓮華王院)です。 

爾来、4度の大修理があったものの八百年近く現在の美しく荘重な形を保っています。

  得長壽院の跡碑 (左京区岡崎徳成町  岡崎の疎水沿い) 

sakuragai6 の紹介

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