細川ガラシャの隠棲地などの探訪

細川ガラシャ(玉)は明智光秀の三女として生まれ、美人で聡明な人柄でした。  天正6年

(1578)織田信長の媒酌により、細川藤孝の子忠興に輿入れしました。 父光秀が本能寺の変

を起こすと忠興は光秀の誘いを聞かず玉を丹後の山奥に幽閉し避難させ自分は羽柴秀吉

軍として出陣, 光秀と山崎で戦いました。 玉は愁思のうちに2年の隠棲生活を過ごしました。

やがてこれを哀れんだ秀吉に許されて復縁。その後キリスト教に入信「ガラシャ」の洗礼名を受

けました。 慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで徳川家康に従い東征についた忠興の留守に大阪

細川邸の玉は石田三成の軍勢に囲まれ、人質として大阪城への入城を迫られますがこれを

拒否して自ら邸宅に火を放ち壮烈な最後を遂げました。 ”散りぬべき時知りてこそ世の中の花

も花なれ人も人なれ” 有名な辞世の句です。

 

   京丹後市弥栄町味土野の山中にあるガラシャの隠棲地

  ( この記念碑のある平坦面にガラシャの居城があったようです)

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    細川忠興とガラシャの像 (勝竜寺城公園内、長岡京市)

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  ガラシャ(玉)が輿入れした細川氏の居城

  の勝竜寺城 〔長岡京市)

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     細川忠興とガラシャ夫人のお墓

    〔京都市北区紫野、大徳寺の高桐院内)

sakuragai6 の紹介

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