正式には干菜山光福寺と号する浄土宗のお寺ですが、当寺の住職月空宗心が六斎念仏を世
に広めたことで知られています。 住職が高野の河原で僧俗男女のグループで鉦鼓を打ち鳴
らして念仏踊りをしているところに、たまたま通り合わせた秀吉が怪しんで上人を糾明したとこ
ろ 洛中洛外の戦死者の菩提を弔うためと答え、大根の葉を干した菜っ葉を献上したことから
秀吉が感じ入り、また干菜が軍糧に適していると喜ばれ、寺の称号を与えられたそうです。
西陣の「浄土院」と京阪橋本駅のそばの「西遊寺」が「湯たくさん茶くれん寺」と命名された
逸話(2008年9月25日付ブログをご参照)に良く似ていますね。 六斎念仏は空也系と
干菜系があり、前者は踊り念仏で芸能的色彩を帯びていったのに対して後者は原型を留めて
いるようです。
干菜山光福寺の入口正面右手の石碑など
門を入った正面の通路
「場所」 左京区田中上柳町56 (叡山電鉄出町柳駅の東
徒歩約3分)
ここ、うちの母方の菩提寺なんです。小さい頃から、ようお参りさせてもろてます。別にこれというて何もないお寺ですが、閑静な街角のお寺らしい佇まいですよね。
ぽん様
ホホー そうでしたか! 花園天皇から賜ったという閉目の阿弥陀如来があるそうですね。入口を入った左側のいわくのありそうな「宇津の井戸」や奥の入口の工事中のところに赤ちゃんを抱いたマリヤ風の水子地蔵などが印象的でした。 あまり広くは知られていないお寺ですが六斎念仏の免許を与える権限を持っていたとはたいしたものですよ。