鹿ケ谷事件の俊寛ゆかりの地

鹿ケ谷事件は今から830年前の治承1(1177)に藤原成親・俊寛ら後白河院の近臣が鹿ケ谷

の俊寛の山荘で平家打倒を謀議した事件です。 多田行綱の密告で発覚して成親は処刑。俊

寛らは鬼界島に配流されました。  俊寛は真言宗の僧・法勝寺の座主でその悲劇的な配流

生活は 「平家物語」や能,歌舞伎にも取り入れられていますがなかでも世阿弥作「俊寛」は

有名です。   大文字山の山麓にある鹿ケ谷山荘跡や岡崎法勝寺町の満願寺の故居などの

俊寛僧都にゆかりの地を訪ねてみました。  なお左京区花脊の大悲山峰定寺には隠れ住ん

だ夫人と子供そして俊寛の供養ために後の人々が建てた宝筐印塔があります。

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   大文字山の山麓にある俊寛僧都忠誠の碑 〔山荘跡) 

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  石碑の脇に流れる楼門の滝 (俊寛の滝)

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    左京区法勝寺町、満願寺の俊寛僧都故居之碑      

sakuragai6 の紹介

京都を愛する、ロマンティストの男性シニアです。
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鹿ケ谷事件の俊寛ゆかりの地 への4件のコメント

  1. 320 より:

    鬼界島(きかいがしま)に配流さた俊寛僧都は御赦免舟にとりすがり、
    「都に帰してくれ!」と泣きすがるが兵士がそれをうちはらい
    哀れ俊寛は孤島、鬼界島で果てる。
    僧籍だった故に平家は許し難かったとか。

    これ歌舞伎狂いの中学の古文の先生に教わりました。

    ちょっと、いろいろあって御無沙汰でした。

    ♪ひさしびりね~と 後ろから ぽんと背中をたたいた人がいる
     振り向けば 懐かしい はにかむように君がいた・・・・・アリ・・

    お呼びでないね・・・・

  2. sakuragai6 より:

    320さま

    相国寺の最後の客はいい感じでラッキーでしたね。

    私の思い出歌は 「夜明けの街」と「粹な別れ」です。

  3. 320 より:

    桜貝先輩、下記URLの事情でした。

    http://www53.tok2.com/home/arthur3/yanagibasi.html

  4. sakuragai6 より:

    320さま

    納得です。

    播磨屋橋とはスケールの面で趣を異にするようですね。

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