「蟻の熊野詣で」という言葉があります。 平安時代の中期から定着し始めた神仏習合思想の
総本山が熊野三山で、熊野信仰が最盛期を迎えると参詣者が行列のように押すな押すなの有様
だったことから、このように形容されたのです。 京都から熊野への往復は約700キロで1ヶ月
以上を費やし当時の都人にとっては大変なことでした。 そこで熊野の新宮・別宮として創建され
たのが京の三熊野神社です。
① 新熊野神社
当社が「新熊野」と書いて「いまくまの」と読むのは、紀州の」古い熊野に対する
京の新しい熊野、紀州の昔の熊野に対する京の今の熊野という当時の都人の
認識が由来です。 樹齢900年という後白河上皇お手植えの大樟(おおくすのき)
や能楽発祥の地(観阿弥・世阿弥親子の初興行と足利義満の出会いの場)として有名。
熊野三山の本宮にあたります。
② 熊野神社
修験道の始祖、役行者十世、僧日圓が国家護持のため紀州、熊野大神を
勧請しました。 聖護院の守護神、熊野三山の新宮にあたります。
境内には八橋の中興の祖といわれ”京に八橋あり”と名声を高めた西尾為治氏の
記念碑があります。
③ 熊野若王子神社
哲学の道や東山を散策する人たちが道中の安全を祈願する神社として賑わっています。
かって熊野御幸は後白川上皇をはじめ修験者がまず若王子で身を清めてから出発され
たそうです。 当社は熊野三山の那智大社を表しています。
昔、田辺~本宮~勝浦を歩きましたが、今思っても苦難の道でした。越前峠ではひっくり返りそうになりながら何とか歩ききりました。一歩進むごと・・・、あとは定家に。
こんな苦難の道を京都から(船を除いても難波から)実に34度も踏破した後白河法皇ってバケモノ・・・。
yamanaさま
単純に考えると四国遍路の約2倍に当たる距離ですものね。
後白河法皇は32回目の熊野御幸の時に次の歌を読まれた由。
”忘るなよ雲は都をへだつともなれて久しきくまのの月”
失礼ながらyamanaさまも、とても只者とは思えませんよ。