7 月 20
1593年に来日したフランシスコ会のバプチスタ神父は豊臣秀吉から妙満寺跡の広大な土地を与えられ教会、修道院、病院を建てました。 多くのキリシタンが付近に住んでいたので教会を 『南蛮寺」と呼んでいました。
1596年、航海中のスペイン船が嵐に会い浦戸に入港。 積荷の没収を恐れた船長はスペインから軍隊を呼ぶと脅しました。 日本に宣教師を派遣したのは日本征服の為の工作かと激怒した秀吉はキリシタンたちの捕縛を命じました。 「日本二十六聖人」の殉教の始まりです。 一条戻り橋で耳そぎの刑を受けた殉教者たちは、牛馬に乗せられて目抜き通りを引き廻され、徒歩で処刑地、長崎まで送られ十字架にかけられました。 殉教者たちが、かって活動した教会跡が『フランシスコの家」とその周辺です。 現在はキリスト教文化資料館として多くのキリシタンの遺物や文書が展示されていますが、なかでも「踏絵」や「隠れ切支丹の鏡」などは一見の価値ある貴重な品々です。
(写真説明) 上は、南蛮寺跡(中京区蛸薬師室町西入る) 織田信長の時代に、耶蘇会(イエズス会)によって建てられ京都
におけるキリスト教と南蛮文化の中心になった. この北側、姥柳町にあったと推定される。 (駒札より)
下は、フランシスコの家(下京区佐竹町・・岩上通り四条下る西側)


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