6 月 30

源氏物語千年紀ブームに乗って巷には関連図書があふれています。

その数は1000冊を超えるともいわれています。  そんな中にあって、ひとあじ違った本を見つけましたのでご参考までに紹介します。 それは表題の図書です。  一見、若い女性向けの体裁になっていますが、中身は硬派でしかも読み易い内容なのです。 登場人物は作者、主人公、と8人の姫君に絞り込んで物語をまさしく物語風に読者に語りかけてくれます。 とくに圧巻は光源氏のモデル論で、源融、藤原道長、伊周と、世間ではあまり語られていない部分に焦点をあてているのは書店に並ぶ他の類書にはみられない特色です。  学者の難解な文章とは違って楽しく興味深く理解ができます。 序文、コラムもいいですが、具体的には道長の作った仏像、源融河原院址碑、高山寺(西院)の賽の河原など意外に知られていない所も教えてくれます。    

  

図書名    姫君たちの京都案内

副題     『源氏物語」と恋の舞台

著者     蔵田敏明 薄雲鈴代

発行所    淡交社

定価     1500円

 

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6 月 28

京都市内随一の盛り場、新京極通りには幾つかの不思議どころがあります。

その一つ「たらたら坂」は三条通りから新京極へ南に曲がると、なだらかな下り坂になっています。

これがなぜ不思議かといえば、直ぐ西隣の寺町三条には坂がなくほぼ平坦だからです。

歴史地理の専門家はいとも明快に謎解きをしてくれました。   それは寺町通りと新京極通りは隣どうしでも歴史が違うということ (つまり洛中洛外の境界が背景にあると言うこと) と豊臣秀吉が三条大橋をつくり三条通りを主要街道とした時に、鴨川の河原の中を通る三条通がぬかるまないように、周辺より土地を高く上げた、その名残りということです。

事例は他にもありますが、京都の歴史の奥深さを示す一例ともいえましょう。

写真では一寸判りにくいかもですが、上の写真のショーケースの下部に見られる傾斜にご注目ください。   下の写真は新京極三条から南に向かっての遠景です。

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6 月 23

王朝文学の最高傑作 『源氏物語」の作者 『紫式部」の本名は、先ごろ亡くなられた考古学者の角田文衛博士によれば権記(藤原行成の日記)や御堂関白記(藤原道長の日記)を勘案して藤原香子(たかこ) と推定されています。    

事実のほどは別として堅苦しい女官の呼び名よりもなんとなく庶民的な親しみの持てる感じがしませんか。

また盧山寺(紫式部の邸宅址、執筆の地)には次のように歌碑の解説がなされています。

「紫式部は、越後守・藤原為時の娘で、名は香子と言ったらしい。  生年は天延3年(973年)頃、没年は長元4年(1031年)頃と推定される。  夫、藤原宜孝の卒後、中宮・彰子に仕えた。    中古三十六歌仙の一人とされ、大作「源氏物語」のほか紫式部日記、紫式部集といった作品がある。  その文名は遍く知られており、ユネスコによって、『世界の偉人」の一人に選定されている。』  

ところで紫式部には物語作家、歌人、宮廷女房などの顔 (顔と言えば身近には日本銀行券の2000円札の裏面にも登場しています。) があり ますが、その凄さを感じるのは源氏物語の作品の中で最も重要な和歌795首もが人物ごとに作りわけられていることです。 

 ここで二つの「百人一首」に選ばれた紫式部自作の和歌を二首(新古今和歌集)とりあげてみました。

 めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に雲がくれにし夜半の月かな (小倉百人一首)

 曇なく千年にすめる水の面にやどれる月の影ものどけし  (平成新選百人一首)

 ときあたかも源氏物語千年紀、日本人の心のふるさと、ともいえる古典文化を見直す良い機会ではないでしょうか。

 ( 写真説明 )   上は盧山寺の 「源氏の庭」

             下は土佐光起の[紫式部像]

 

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6 月 19

昨年の10月、小倉百人一首の発祥の地となる嵐山・嵯峨野地域の五箇所を舞台にして歌碑が完成しました。

物のあわれや風流が凝縮した珠玉の作品がいろいろな形状の自然石に刻まれています。

今回は二つ目の「嵐山東地区」を訪ねてみました。

渡月橋から中ノ島を渡り徒歩で15~20分、嵐山東公園 (運動場の西) のなかに西行法師の歌など21首の秀歌が集められています。 

 「時雨殿」の体験型施設で遊びながら楽しむのも悪くないですが、屋外の自然の慈しみの

 なかで情熱的に詠われる愛の讃歌などは、そこはかとなく想いが伝わってくるようです。

 ちなみに全100首のうち、なんと43首が恋歌、京都を詠んだ歌は14首あります。

 

 (文芸苑の場所と歌碑の数)   亀山地区  (亀山公園)       49首

                     嵐山東地区 (嵐山東公園)     21首

                     長神の社地区 (二尊院の近く)  19首

                     奥野々宮地区 (野宮神社の近く)  7首

                     野々宮地区   (同上     )   4首

 

 

 

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6 月 15

 写真(上) 阿弥陀寺の墓地(信長父子ほかの墓) 

 写真(下) 現在の本能寺入り口の表示( の字ではないことにご注意!)

 

  明智光秀につづいて織田信長ゆかりの社寺、お墓、などをまとめてみました。

「本能寺の変」の舞台は中京区油小路蛸薬師の地で「旧本能寺跡」の石碑が建っています。

発掘調査で出土した卒塔婆に密教で使われる呪文『真言』が記されていることがわかり焼け跡で僧が死者を供養した可能性がクローズアップされています。

本能寺はたびたび火災に罹ったため {ヒヒ」と重なるのを忌み「」の字の右側は「去る」と言う字を書くのが慣わしになっています。   (ネイルクリックで拡大して見てください)

建勲(たけいさお)神社には ”人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢まぼろしの如くなり ひとたび生を得て 滅せぬ者のあるべき” と桶狭間の合戦で出陣に際し信長が好んで舞った『敦盛」の一節が刻まれています。      

では以下に列記します。

① 織田信長公の塚石 (秀吉が伏見城にいた時、主君追慕のために設けたものですが余り知られていません)・・伏見港公園の駐車場の一画にあります。

②阿弥陀寺 (信長、信忠、森蘭丸など本能寺の変で討ち死にした約120名の墓、清玉上人が自刃した信長の遺骸を葬ったという・・・上京区寺町通今出川上る 写真(上))

③ 旧本能寺跡  (立派な石碑があります・・・中京区油小路蛸薬師下る)

④ 総見院  (秀吉が信長の菩提を弔うために建立、墓所・・・北区紫野大徳寺町)

⑤ 現本能寺 「供養塔などがあります・・・中京区寺町通御池下る 写真(下)の字にご注目を」 

⑥ 大雲院 (信長父子の供養塔、貞安上人が建立・・写真、場所は5月26日分をご参照)

⑦ 建勲神社 (信長が祭神で戦前の別格官幣社です・・・北区紫野北船岡町)

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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6 月 14

     格子戸風の入り口

 

かつては日本の三大盛り場の一つとも言われた新京極通りには、いろいろと

見どころが点在していますが、蛸薬師上がるの「寅薬師如来」もその一つです。

弘法大師空海が彫り上げたのが寅の日、寅の刻であったことから厄除けと

寅年の守護仏として「寅薬師」と呼ばれ親しまれています。

京都十二薬師霊場の第十一番で、名薬師の一つにも数えられています。

なお、お寺さんとは無関係の話ですが、トラといえば「パールハーバー」の戦争映画

やプロ野球チームの熱烈ファンが思い浮かびますが、つい最近では京都市動物園で痛ましい事故が発生しました。 

その虎の写真は5月14日のブログにアップした矢先の出来事でした。

お亡くなりになられた方のご冥福を心よりお祈りします。

(場所)   中京区新京極蛸薬師上ル  西光寺

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6 月 13

  木の根をおおう苔

 

苔寺の通称で知られるこのお寺は総門を閉じて拝観を制限し少数参拝制を

採用していますが、世界遺産に登録され 「モス・ガーデン」 の名で広く

世界にも知られています。  大仏次郎作の小説 「帰卿」や映画化もブームに一役

買ったともいえましょう。     季節的には、いまが最も苔の美しい時期です。

日本人には「般若心経」の写経で心を静めてからの庭園散策と言う演出も1つの体験として

悪くないのですが、写経の真最中にお寺の沿革についての説明がなされるのはいささかいただけない。

(我々は聖徳太子ではないのだから)

やはり見所は、境内一面におおわれた苔と黄金池をめぐる池泉回遊式の下段の庭園でしょう。

庭園そのものが襌の精神修練の道場とした夢窓国師の作庭(三大名庭の一つ)のポリシー

が感じとれるような気がするからです。

(場所)  西京区松尾神ヶ谷町56

(拝観)  1週間前までの往復ハガキによる申し込み制

 

 

 

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6 月 07

新京極の蛸薬師下るに有名な蛸薬師堂があります。

寺伝によれば、この寺にいた親孝行の僧侶が戒律に背いて病気の母のため

蛸を買って帰るところを町の人に見咎められ箱を開けるように求められました。

僧が薬師如来に念じたところ蛸の足が八軸の経巻に変わり難をのがれることができ、

母の病も回復したのです。  この霊験から本尊の薬師如来を 「蛸薬師さん」

と呼び人々に敬われ親しまれるようになったそうです。

さて話は変わって、このお寺の近くにある誓願寺(落語発祥の寺)の住職、安楽庵策伝上人

の著 『醒睡笑」 からお笑いを一つ。

(前略) 炉にかけたる釜の湯おびたたしく煮えあがりて、蓋をたたく。 釜と蓋のあいだに、

なにやらん見ゆる物あり。 蓋を取りたれば、蛸なり。  『これはなにぞ。 蛸ではなきや」という時、坊主の返事、

「さることもあるべし。 ゆうべ蛸薬師の水をくみよせて、茶の湯をしかけさせたほどに」と。

(写真説明)  上・・・薬師堂永福寺  本尊石薬師(秘仏)の御開帳は  10月8日~14日 

          下・・・誓願寺にある、落語の元祖 安樂庵策伝上人の図

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6 月 04

珍しい名前の橋ですがお分かりでしょうか。 

真ん中の写真をご覧ください。    「くいな橋」と読みます。

地下鉄烏丸線のこの駅名は公募の際に、駅の近くを流れる鴨川に架かる「水鶏橋」

にちなんで名付けられたものです。

水鶏(クイナ)は鶴目クイナ科の水鳥で鳴き声が 『戸をたたく」音に似ている

そうです。  1000年も前の何処かで、夜の帳の下りる頃 「 トントン・・・・」

なんとなく忍びやかな情景が浮かんでくるように思えます。

  (花散里) 水鶏だにおどろかさずはいかにして荒れたる宿に月をいれまし

  (源氏)      おしなべてたたく水鶏におどろかばうはのそらなる月もこそいれうしろめとう

                         {源氏物語  澪標 }

  「場所」  伏見区 地下鉄烏丸線のターミナル竹田駅から1つ目の駅)

 

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6 月 01

桂離宮は八条宮智仁親王と智忠親王の父子によって造営され、数奇屋風の書院,茶亭に

回遊式庭園で有名です。   源氏物語の風景の再現に力を注いだとも言われています.  

ポイントとしては、①観月をテーマにした月波楼、月見台や書院の襖の月字形引手の他、

船遊びをイメージしたと思われる笑意軒の襖の櫂型の引き手などは特徴的です。

②飛び石は真、行、草の三位一体の美意識が貫かれています (延べ段、御興寄の前庭

と笑意軒の前)  ③松琴亭前の池に小島を作って反り橋を架け赤松を植えて天橋立に

見立てています。  このあたりの景観を庭園回遊のクライマックスとする向きも多い

ようです。   この 「庭屋一如」 の美しい造形はドイツの建築家ブルーノ・タウトを感嘆させ

 ”永遠なるもの”として世界に紹介し国際的な評価を高めました。

彼の日記には「泣きたくなるほどに美しい印象だ」と記しています。

   ”月のすむ川のをちなる里なればかつらの影はのどけかるらむ” (主上)

   ”久かたの光に近き名のみしてあさゆう霧も晴れぬやまざと”   (源氏)  

   (源氏物語 松風)

  「写真説明」   上から中門より見る中島、松琴亭、御興寄前石段と沓脱石、州浜。

 「場所」 西京区桂清水町  [参観] 宮内庁京都事務所に申し込み制。

 

 

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