おなじみの石川五右衛門は安土桃山時代に出没した盗賊で豊臣秀吉の寝室に忍び込んだ際に香炉が鳴って捕らえられ釜ゆでの刑に処されたといわれています。 秀吉に 「本当の大泥棒は天下を盗ったお前だ」 と言い放った由。 盗賊の彼が人気を博した理由は、お芝居などの演題としてとりあげられ、義賊として扱われるようになったからです。 歌舞伎 「楼門五三桐」 山門の場で 「絶景かな絶景かな。春の眺めは値千金とは、小せえ、小せえ。この五右衛門の目から見れば、値万両、万々両。~」 と煙管片手の見得切りや辞世の句 「石川や浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」 などは有名です。 (ただし実際には南禅寺の山門の建立は五右衛門の死後の1628年です。) その① 藤森神社の手水鉢の由来 神社の駒札によれば水鉢の台石は宇治浮島の十三重の塔の上から五番目の石を五右衛門が持ってきたものと記されています。 (真偽のほどは別として塔を地上から見あげるかぎりでは、石の色が変色しているようには見えないのですが) その② 釜ヶ淵 東九条の東部を北から南に流れる高瀬川が鴨川に合流する所に処刑された釜が流れ着いたと伝えられています。 (釜を使った五右衛門風呂は最近では時代劇の映像でしかみられなくなりましたね) その③ 東寺の宝蔵 食堂の東にある文覚上人再建のもの。 伝説では五右衛門が盗み入ろうとしたが「文覚上人」の威力によって入れなかった由。 その④ 盗難除け 釜茹での刑の日が12月12日。 この字を紙に書いて上下逆さにして玄関に貼っておくと泥棒除けの効用があるそうです。 その⑤ 大雲院のお墓 彼が刑場に赴く途中、当寺の門前を通りかかって、貞安上人の教化を受け、感涙したことから、死後、当寺に埋葬したそうです。 (大雲院については平成20年5月26日付のブログをご参照ください。)
(写真説明) 上から南禅寺の山門 (京都新聞の京の門より)
宇治浮島の十三重の石塔
藤森神社の手水鉢と台石(底にある苔生す石です)
釜ゆでになった石川五右衛門は当然、地獄へ落とされました。が、その後地獄へ落とされる人がなくなって閻魔大王は大変お怒りになり、その原因を探らせると長野の善光寺に御血脈の印という大変に有りがたい印があり、この世でどんな悪事を働いた人でも、この印を額に押すと極楽へ行けたそうです。従って地獄は閑古鳥。
閻魔大王は地獄にいた石川五右衛門を長野善光寺に派遣し、この印を盗んで来るように命じました。
さすが天下の大泥棒、石川五右衛門は印を盗みましたが、自分の額に印を押した為、
地獄に戻らず極楽へ行ったとか。
Mitsuo Sakakibaraさま
愉快な後日談を有難うございました。 地獄で五右衛門がかまゆでウドン屋を
営んでいたなど、上方落語は本当に面白いですね。
おかげでフォーク・クルセダーズのデビュー曲 「おらは死んじまっただ~」を思い出し
ました。