ふたつの 湯たくさん茶くれん寺  

西陣にある浄土院は 「茶くれん寺」 の名で呼ばれ、通称寺の代名詞のようになっていますが、もうひとつの「茶くれん寺」が八幡市橋本にもあります。 (正式の寺名は西遊寺)   前者のいわれは豊臣秀吉が九州征伐を記念して北野天満宮の茶会に出席した帰りに寺に立ち寄りお茶を所望したところ、当時の住職が茶人の秀吉に未熟な茶をだすのをためらい、さゆばかり出したそうです。  秀吉は住職の思いをくみ「ここは、お茶をくれん。湯たくさん茶くれん」といつた由。  以来、山号と寺名の組み合わせのように「湯たく山茶くれん寺」と呼ばれるようになったそうです。    なお、お寺の屋根には楽長次郎の作とされる唐の僧侶、寒山、拾得をかたどった像がおかれていますので見逃せません。   また後者は秀吉が天王山で明智光秀と戦った山崎の合戦の際に当寺に立ち寄り、お茶を所望したところ同様にお湯ばかりが沢山でたそうです。   前者ともども秀吉の洒落から通称名になったようです。     またこのお寺の敷地には鳥羽伏見の戦いの時に南方のくずはにあった幕府軍の本陣(久修園院)の砲台弾薬庫が移築されており、現在もそのまま残っていますので一見の価値があります。  京阪電車の橋本駅の改札口の前に立つ石碑には「湯沢山茶久蓮寺」と漢字で書かれており、また横面には昔の粋人にとって懐かしい「橋本渡舟場3丁」との表示があります。

( 写真説明)   上から京阪橋本駅前の石碑(西遊寺の向かい側)、西遊寺正面入り口、

           浄土院正面入り口、屋根の像

(場所)       浄土院は上京区今出川通り千本西入北側

           西遊寺は八幡市橋本中ノ町46番地

sakuragai6 の紹介

京都を愛する、ロマンティストの男性シニアです。
カテゴリー: 1, 寺院, 石碑   パーマリンク

ふたつの 湯たくさん茶くれん寺   への10件のコメント

  1. augustaugust より:

    漢字で「湯沢山~」と寺の名前がでていても
    おそらく私は気づかないで終わったかも・・・。
    お寺の名前の背景は、とても洒落っ気がありますね。
    粋だねぇ~って思ってしまいます。

  2. sakuragai6 より:

    augustaugustさま
    本当にユーモラスですね。
    京都の通称寺は他にも沢山ありますが(40ヶ寺以上)、その中で宗派をこえて集まり、昭和59年に「通称寺の会」が誕生しています。  巡拝の栞や専用の納経帳まであります。
    このブログでご紹介させて頂いたお寺としては、蛸薬師(6月7日)と寅(虎)薬師(6月14日)も含まれていますが、6月7日付の
    「蛸薬師の水から蛸が出た話」 はぜひご覧になってみてください。

  3. ayami より:

    ははぁ~いつも勉強させていただいています!
    それにしてもsakuragai6さんは、どうしてそんなに
    いろんなことにお詳しいんですか??
    たくさん勉強なさったのでしょうか?

    今度誰かにこの話ししま~す^^
    うちの祖母ももしかしたら知らないかも?!

  4. sakuragai6 より:

    ayamiさま
    ようこそ!    お恥ずかしいですが、まだまだ未熟で判らないことばかりです。  おそまきながら京都通を目指して勉強をはじめたのも、ほんの2~3年前からなのです。  ただ好奇心と行動力だけは、いつまでも失わないようにと自分に言い聞かせています。

    ayamiさまは、晴れて東映の女優さんとしてのデビューも間近ですね。
    陰ながら応援していますよ。  それから 「おニュ~」の登場も心待ちにしています。

  5. みっちゃん より:

    西陣と八幡の片田舎にある2つのお寺に共通したお茶のお話をご存じの方は少ないでしょうね。
    好奇心と行動力をもって日常を送られているsakuragai様には脱帽しています。

  6. sakuragai6 より:

    みっちゃんさま

    たいへん恐縮です。   でも京都市以外の府下の市町村にも国宝をはじめ、歴史的に由緒のある社寺や名所はもり沢山あります。 ご紹介させて頂きたいのはやまやまなのですがつい足の便のことを考えると後回しになってしまい申し訳なく思っています。   おりにふれて丹後や丹波の地方のことも取り上げさせて頂きたいと思っています。

  7. ぽん より:

    私も八幡のほうは知りませんでした。
    しかし秀吉は、考えようによっちゃ「茶なんか出したるかい」と、嫌われていたのでは?!
    京都なら、ありそうですが。

  8. sakuragai6 より:

    ぽんさま

    秀吉の京都改造計画で、寺院が強制的に移転させられたという事実がありますので、
    度胸のある住職ならありうることかもわかりませんね。  面白い考え方だと思います。

    それから「長五郎餅」も北野大茶湯で、河内屋長五郎が秀吉に献上して気にいられて
    命名をうけたそうですね。   鳥居の前の 澤屋の粟餅もなかなかの人気のようですが。

  9. ヘルブラウ より:

    私もぽんさまの意見に納得できます。

    白湯を出されると米粒一つもないような寒々とした貧困の中で
    貴重な薪を炊いてもてなしたということがよかったのでしょうか?

    京都でお会いするの楽しみで、でもちーと恥ずかしいような気持ちです。
    日程がはっきりしましたらまたご連絡します。

    私の方には管理者にしか見れないコメント枠がありますのでそれがよろしいかと
    おもわれますが玉葱工房屋さんでも連絡取れそうですね。

  10. sakuragai6 より:

    ヘルブラウさま
    なんとなく戦国武将、太田道灌のエピソードを思いだします。
    鷹狩りの折に激しいにわか雨に会い、貧しい農家に駆け込んで、蓑を貸して貰えぬかと声をかけたところ、娘が黙って差し出したのは山吹の花一輪。

    “七重八重、花は咲けども山吹の蓑(みの=実の)ひとつだに無きぞ悲しき”

    花の意味が判らなかった道灌は無学を恥じて和歌の勉強をはじめるという有名な逸話
    ですが、道灌を秀吉に娘を住職に読みかえてみると、つながりそうな気がしますが・・・。

    ところでご帰国を楽しみにしています。  ご連絡はどちらでもご都合の良ろしいほうで
    お願いします。

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