織田信長 総集編

 写真(上) 阿弥陀寺の墓地(信長父子ほかの墓) 

 写真(下) 現在の本能寺入り口の表示( の字ではないことにご注意!)

 

  明智光秀につづいて織田信長ゆかりの社寺、お墓、などをまとめてみました。

「本能寺の変」の舞台は中京区油小路蛸薬師の地で「旧本能寺跡」の石碑が建っています。

発掘調査で出土した卒塔婆に密教で使われる呪文『真言』が記されていることがわかり焼け跡で僧が死者を供養した可能性がクローズアップされています。

本能寺はたびたび火災に罹ったため {ヒヒ」と重なるのを忌み「」の字の右側は「去る」と言う字を書くのが慣わしになっています。   (ネイルクリックで拡大して見てください)

建勲(たけいさお)神社には ”人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢まぼろしの如くなり ひとたび生を得て 滅せぬ者のあるべき” と桶狭間の合戦で出陣に際し信長が好んで舞った『敦盛」の一節が刻まれています。      

では以下に列記します。

① 織田信長公の塚石 (秀吉が伏見城にいた時、主君追慕のために設けたものですが余り知られていません)・・伏見港公園の駐車場の一画にあります。

②阿弥陀寺 (信長、信忠、森蘭丸など本能寺の変で討ち死にした約120名の墓、清玉上人が自刃した信長の遺骸を葬ったという・・・上京区寺町通今出川上る 写真(上))

③ 旧本能寺跡  (立派な石碑があります・・・中京区油小路蛸薬師下る)

④ 総見院  (秀吉が信長の菩提を弔うために建立、墓所・・・北区紫野大徳寺町)

⑤ 現本能寺 「供養塔などがあります・・・中京区寺町通御池下る 写真(下)の字にご注目を」 

⑥ 大雲院 (信長父子の供養塔、貞安上人が建立・・写真、場所は5月26日分をご参照)

⑦ 建勲神社 (信長が祭神で戦前の別格官幣社です・・・北区紫野北船岡町)

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

sakuragai6 の紹介

京都を愛する、ロマンティストの男性シニアです。
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織田信長 総集編 への2件のコメント

  1. ヘルブラウ より:

    昨日感想を書いて送信したのですが、
    どこかに言ってしまったようで残念です。
    操作に長けた方がどうもいるようで怖い気がします。

    また様子を見てご訪問します。
    そちらにご迷惑おかけしてなければいいのですが。。。

  2. sakuragai6 より:

    ヘルブラウさま

    別のルートで受信できましたのでご安心ください。
    平家の一門として17歳で「一の谷の戦い」に参加した敦盛が誇り
    の中で華と散る名場面は能、謡曲、歌舞伎などの題材にも
    なっています。
    信長が好んだ歌 『人間五十年・・・」 は幸若舞 『敦盛」の中の一節
    なのです。
    同じ平家物語のこの合戦を歌にした哀愁をおびたメロディー 
    『青葉の笛」 (小学唱歌、はじめは敦盛と忠度の表題でした)
    も私の好きな歌のひとつです。

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