京都市上京区の北野天満宮で平成21年6月25日に恒例の夏越行事(なごしぎょうじ)の
「大茅の輪くぐり」が行われました。 当日は34度という真夏日にもかかわらず天神さんの日
にもあたり境内は大変な賑わいでした。 同神社では祭神の菅原道真の誕生を祝う御誕辰祭
にあわせて毎年行っています。 参拝者は楼門に掲げた直径約5mの大きな茅の輪をくぐり
ぬけ、さらに本殿の近くにおかれた、ひとまわり小さい茅の輪をくぐりながら健康を祈願してい
ました。

楼門の大茅の輪

本殿に近い茅の輪
京都市上京区の北野天満宮で平成21年6月25日に恒例の夏越行事(なごしぎょうじ)の
「大茅の輪くぐり」が行われました。 当日は34度という真夏日にもかかわらず天神さんの日
にもあたり境内は大変な賑わいでした。 同神社では祭神の菅原道真の誕生を祝う御誕辰祭
にあわせて毎年行っています。 参拝者は楼門に掲げた直径約5mの大きな茅の輪をくぐり
ぬけ、さらに本殿の近くにおかれた、ひとまわり小さい茅の輪をくぐりながら健康を祈願してい
ました。

楼門の大茅の輪

本殿に近い茅の輪
梅雨の晴れ間にホトトギスの鳴きわたる初夏、6月20日に鞍馬寺で「竹伐り会式」
が行われました。 平安時代に同寺の中興の祖・峯延上人が大蛇を法力で退治した
という故事にちなんだ行事です。 僧兵のいでたちの鞍馬法師が「丹波」と「近江」に
分かれ、大蛇に見立てた青竹を気合とともに切り、その速さを競い、早く伐った方の
土地が豊作になると伝えられています。

竹ならし

舞楽
「蟻の熊野詣で」という言葉があります。 平安時代の中期から定着し始めた神仏習合思想の
総本山が熊野三山で、熊野信仰が最盛期を迎えると参詣者が行列のように押すな押すなの有様
だったことから、このように形容されたのです。 京都から熊野への往復は約700キロで1ヶ月
以上を費やし当時の都人にとっては大変なことでした。 そこで熊野の新宮・別宮として創建され
たのが京の三熊野神社です。

① 新熊野神社
当社が「新熊野」と書いて「いまくまの」と読むのは、紀州の」古い熊野に対する
京の新しい熊野、紀州の昔の熊野に対する京の今の熊野という当時の都人の
認識が由来です。 樹齢900年という後白河上皇お手植えの大樟(おおくすのき)
や能楽発祥の地(観阿弥・世阿弥親子の初興行と足利義満の出会いの場)として有名。
熊野三山の本宮にあたります。

② 熊野神社
修験道の始祖、役行者十世、僧日圓が国家護持のため紀州、熊野大神を
勧請しました。 聖護院の守護神、熊野三山の新宮にあたります。
境内には八橋の中興の祖といわれ”京に八橋あり”と名声を高めた西尾為治氏の
記念碑があります。

③ 熊野若王子神社
哲学の道や東山を散策する人たちが道中の安全を祈願する神社として賑わっています。
かって熊野御幸は後白川上皇をはじめ修験者がまず若王子で身を清めてから出発され
たそうです。 当社は熊野三山の那智大社を表しています。
いま静かな霊場ブームが続いています。 弘法大師の四国八十八ヵ所巡拝者を”遍路”
観音菩薩の西国三十三ヵ所巡拝者を”巡礼”と呼び名も定着しました。 江戸時代から
「京都の三弘法」をまわってから四国の霊場へという参拝者の風習があり「東寺からお参りして
高野山で満願を」というのが一般的になっています。

① 東寺の御影堂 (国宝)
弘法大師の住房で、堂内には不動明王と大師像が祀られ弘法大師信仰の中心になっています。
作家の司馬遼太郎氏は「古都巡礼」の中で”京都の寺を歩くのには平安京の最古の遺構である
この境内を出発点とするのがふさわしく、よく待ち合わせの場所にしている” と述べています。

② 神光院
上賀茂の西、境内3000坪の平地にあります。 弘法大師が42歳のとき90日間修行をされ
たところ。 本尊の大師像は大師自らが刻んだものだそうです。 また薄幸の女流歌人として名高い
太田垣蓮月が、晩年、大師に帰依して隠棲した寺として知られています。

③ 仁和寺 (御室八十八ヵ所)
御室八十八ヵ所は仁和寺の裏山一帯で、アップダウンの差は激しいですが約3キロ、
2時間と手ごろな距離です。 四国霊場各札所の本尊と弘法大師像が安置されています。
庚申の信仰の起源は中国の道教です。 60日ごとに巡ってくる庚申(かのえさる)の日の
夜は、人が眠っている間に体内にいる三尸(さんし)という三匹の虫が身体から抜け出て、
その人の罪を天上の帝釈天に告げるため命を縮めるという教えです。 そして庚申の夜は
人は寝ずに長寿を祈って一夜を明かす庚申待という習俗があります。
① 八坂庚申堂・金剛寺 (東山区金園町390)
日本三庚申の一つです。 (その他は東京の浅草庚申と大阪の天王寺庚申)
朱塗りの門と赤い幟がにぎやかで、地元の人は「庚申さん」と呼んでいます。
布製の猿の手足をひとつにくくって、祈願成就を願う「くくり猿」などユニークな信心
の形があります。

② 粟田口庚申堂・尊勝院 (東山区粟田口三条坊町1)
青蓮院に属する天台宗の寺で、本尊に元三大師像を安置するところから、元三堂とも
呼ばれていました。 戦前までは、庚申さんの縁日は夜店などがでて賑わい、俗に
「粟田の庚申堂」とも呼ばれて親しまれていました。

③ 山之内庚申・猿田彦神社 (右京区山之内荒木町)
御祭神の猿田彦大神は天孫降臨の道案内の故事から道を開く神といわれ
人生の道案内の神として知られています。 見ざる。聞かざる、言わざる
の三神猿は世の諸悪を排除して開運招福の教えを表すものとして、あるいは
虫封じのためにそれぞれの社寺に登場しています。

中世の室町時代から民衆の町堂として京の人びとが、にぎやかに集まる集会所の役目を果たして
来た寺院があります。 その代表的なのが次の三寺院ですが、それ以外にも町堂に近い性格
を持っていたお寺としては千本閻魔堂などかあります。 因幡堂は本尊の薬師如来が
七仏薬師の一つとして治病、安産の霊験があると宗派を超えて町衆の信仰が篤く人びとの連帯
によって守られるお寺になっていたのです。 また革堂は上京の町堂、六角堂は下京の町堂と
呼ばれていたようです。
① 因幡堂平等寺
本尊の薬師如来像は清涼寺の釈迦如来、善光寺(長野)の阿弥陀如来とともに
日本三如来の一つです。 高倉天皇が寵愛された小督局の遺愛の琴や毛髪を
織り込んだ光明真言などのリアルな遺品が伝わっています。

② 革堂行願寺
開祖の行円上人がいつも革の衣をまとっていたので「革聖」と呼ばれるようになりました。
西国観音霊場の第19番札所、また「都七福神めぐり」の寿老神礼拝所になっています。

③ 六角堂頂法寺
「六角さん」の名称で京の人びとに親しまれてきました。
聖徳太子を開基として創建されたと伝えられています。 へそ石などで有名です。
西国観音巡礼第18番札所です。

寺院の山門は威厳と風格の中にも、それぞれに表情が感じられますね。
「笑う門には福きたる」 ではないですが、いずこも親しみと歓迎ムードで
迎えて欲しいすね。 なお四大門といえば東本願寺が加わります。
三門の「三」は悟りに通じる三つの境地、つまり空、無相、無願を意味するようです。
① 知恩院三門 (国宝)
約7千ヶ寺を擁する浄土宗の総本山で元和7年(1621)徳川秀忠が建立。 高さは24m。
現存する木造の楼門としては日本最大の三門です。

② 南禅寺三門
臨済宗南禅寺派の大本山。 現在の三門は藤堂高虎の寄進により寛永5年(1628)に再建
されました。 武将の寄進だけあって豪放というか「武家面」の構えですね。 高さは22m。
歌舞伎 「楼門五三桐」の石川五右衛門の絶景かな々で有名。

③ 仁和寺二王門
真言宗御室派の総本山で世界遺産に登録されています。 高さ20.5m。
江戸初期の寛永14年(1637)~正保元年(1644)にかけて建立されました。

ここでご紹介しますのは三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)のことではありません。
京都御所や社寺の鬼門を守るお猿さんのことです。 そういえば青蓮院の塔頭の尊勝院には
4匹目の猿(想わざる)がいますね。 また通称 「猿寺」 といわれる正行院(下京区東塩
小路町)には八猿の他に五百匹もの猿がいるようです。
① 赤山禅院
延暦寺の別院で京都の東北の鬼門にあたることから方除けの神として信仰を集めて
います。 写真に見える屋根上の猿にご注目ください。

② 京都御所
京都御所の北東を猿ヶ辻と呼んでいます。 ここは御所の鬼門に当たるので、災いをさけるために
築地塀の角をくぼませてあります。 また祀った木彫りの猿が通行人に悪さをするので金網を張っ
て閉じ込めてあります。 肩に御幣をかついだひょうきんな姿です。

③ 幸神社 (上京区寺町通り今出川上ル一筋目を西入ル北側)
縁結びの神として信仰を受けています。 また御所の東北に当たるので鬼門を守る神
ともされ、上の写真にみる木彫りの猿と同じような猿が本殿の東側にいます。

京都には俗に三大狂言と言われる閻魔堂狂言,嵯峨狂言,壬生狂言があります。
いずれも大念仏が次第に芸能化していったものです。
大念仏狂言は説法の趣旨を口舌によって伝えるよりも演劇によって伝えた方がわかり易い
という考えから始められたのです。

① 千本閻魔堂大念仏狂言
三つの狂言の中でただひとつ、セリフが入り観客を笑わせ楽しませてくれる庶民的な
演劇で京都市登録無形民族文化財です。 上演日は節分と5月上旬(4月5日の
花供養には鞍馬寺でも行われます。)

② 嵯峨大念仏狂言
壬生狂言と同じく宗教的な無言劇ですが民族芸能として高い評価を受けて
国選択・京都市登録無形民族文化財になっています。 3月、4月、10月に
釈迦堂境内 の狂言堂で一般に公開されています。

③ 壬生大念仏狂言 (ここは写真の撮影が禁じられているため鑑賞ガイドから)
国の重要無形民族文化財.本来の宗教劇だけでなく、能や物語などからも新しく
取材。 節分、春、秋年3回の上演で春は30の演目すべてを演じます。
かっては岡崎の法勝寺に高さ90mの九重の塔があったそうですが、現存する京都市の国宝・重要文化財の五重の塔は全部で五基あります。 (うち一つは東寺の宝物館にある小塔ですが、京都府下全域で見ると加茂町の海住山寺(国宝)や天の橋立の成相寺などがあります。)
① 東寺 (55m) 古都の玄関の象徴として親しまれています。 天長3年(826)弘法大師の創建着手にはじまりますが、しばしば災火を受け、焼失すること四回に及んでいます。 本瓦葺で現存する木造の塔として最高で最大の五重の塔(国宝)です。 寛永21年(1644)に徳川家光の寄進によって完成し現在で五代目です。

② 醍醐寺 (約38m)
京都府下に現存する最古の木造建築物で国宝です。 朱雀天皇が承平6(936)に着工し村上天皇の天暦5年(951)に完成しました。 屋根の上の相輪は約13mで塔の3分の1を占め安定感があります。 ちなみに市街地の現存最古は大報恩寺(千本釈迦堂)で応仁の乱でも燃えずに残りました。

③ 仁和寺 (36m)
寛永2年(1644)の建立。 各層の屋根の大きさがほぼ同じという江戸期の特徴を示しています。

法観寺 (八坂の塔) 46m
本瓦葺きで589年、聖徳太子の建立です。 東山一帯のシンボルとして親しまれています。

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