京都再発見

乙羽信子と新藤兼人の比翼塚【衡梅院】


色づいた衡梅院の「四河一源の庭」

比翼塚に刻まれた「天」の文字

墓標に刻まれた、二人の名前

詳細
タイトル
乙羽信子と新藤兼人の比翼塚
種別
なう
場所衡梅院
撮影日時2017年11月17日
おすすめ
ポイント
通常は紹介者のみの非公開だが、「冬の京の旅」などで一般公開あり。
説明
妙心寺の中興の祖・雪江宗深を開山として創建された塔頭寺院。雪江禅師の四人の弟子に因んで名づけられた「四河一源の庭」は杉苔と石組、楓樹が調和した美しい枯山水庭園である。 墓地の中央部には映画監督・新藤兼人と最愛のパートナーの女優・乙羽信子の比翼塚がひっそりと、墓標には一文字「天」とある。 これは漢字で「二」「人」で「二人」を意味し、新藤兼人の深情が伝わり素晴らしいの一語に尽きる。
情報提供さくらがい

興趣をそぐ京都迎賓館の公開【京都迎賓館】


京都迎賓館の西門の受付

見学の時間内に行われる無神経な池の清掃

ここにも箒を持った人影がちらつく

詳細
タイトル
興趣をそぐ京都迎賓館の公開
種別
なう
場所京都迎賓館
撮影日時2017年11月10日
おすすめ
ポイント
無神経さが改善されなければお勧めできない
説明
久しぶりに京都迎賓館を訪れて驚いた。 本来は寛ぎの空間であるべき庭園内に、見学の時間中にも拘わらず無粋な清掃人の姿がちらつき折角の雰囲気を台無しにしていたからだ。見学者の心情を無視したその無神経さにいささか呆れた。入館料を徴収する以上はプロとして「おもてなしの心」が求められるのは当然ではなかろうか。
清掃の時間が不足ならば休館にしてでも裏方は見せず、ベストの状態で鑑賞に供すべきだと思う。
プレオープン時の感動は全く再現できなかった。
情報提供さくらがい

晩秋の大原野~その3【正法寺】


正法寺の庭園

正法寺の境内の紅葉

正法寺の本尊(珍しい三面千手観音菩薩)

詳細
タイトル
晩秋の大原野~その3
種別
なう
場所正法寺
撮影日時2017年11月8日
おすすめ
ポイント
白砂の庭園と東山の遠景
説明
京の西山と竹林が連なる丘陵に囲まれた大原野は平安時代は皇族や公家の遊猟地で、その牧歌的な風景は古今集などの和歌に多く詠まれている。現在も筍や柿の産地としても有名である。
この風光明媚な正法寺は元禄8(1695)年に桂昌院の寄進を受けて本堂の大修理を行い、境内の借景庭園は鳥獣に似た石を集めて人気を博している。
墓地には昭和の名優・殿山泰司の墓もある。新藤兼人が妻の乙羽信子と良く墓参に訪れていたそうだ。
情報提供さくらがい

晩秋の大原野~その2【大原野神社】


大原野神社の本殿の奥の社の千木に注目を(左側の女神は内削ぎ、右側の男神は外削ぎになっている) 

先般の台風で倒壊した最も大きな石灯篭

相撲神事の土俵と神相撲三百年の記念碑

詳細
タイトル
晩秋の大原野~その2
種別
なう
場所大原野神社
撮影日時2017年11月7日
おすすめ
ポイント
千木による男神と女神の見分け方(写真に付記の説明を参照)
説明
桓武天皇が延暦3(784)年の長岡遷都に際して、皇后(藤原乙牟漏)が参拝に便利なように氏神の春日神を勧請したのが当社の起こり。当初は入野神社(善峯川の北岸に現存する)が鎮座地とされ、文武天皇が現在地に移されたいう。藤原氏出身の皇后との関係を象徴する宗教的・政治的な意味を持つ神社といえる。
これを象徴するように「野の行啓」なる行事が始められ、式部の時代にも道長によって中宮彰子の行啓が行われ、その様子が「大鏡」や「小右記」に記されている。
神社は南春日町にあるが、社家町は北春日町にある。後者には春日神を守ってきた斉藤姓が多く、前者は長岡京、平安京の造営に関わった秦氏の後裔が多く住む。
秦氏と斉藤氏の子孫により始まった御田祭にともなう神相撲は大原野相撲とよばれる当社の特殊神事である。秦氏と斉藤氏の代表が浄めの塩を包んだ白紙を口にくわえて相撲を取る。二回の取り組みを一勝一敗で終え共存の誓いを示すというもので、享保2(1717)年以来300年、連綿と続けられている。
奈良の猿沢池を模した鯉沢池や古歌に詠まれた瀬和井の清水なども変わらぬ姿を見せている。
情報提供さくらがい

晩秋の大原野~その1【勝持寺】


勝持寺への参道(大原野神社からの近道の途次))

勝持寺の薬師如来像(本尊)左手の薬壺から右手で薬を摘み取る珍しい座像

鏡石(西行法師が出家時に剃髪の鏡代わりにした)

詳細
タイトル
晩秋の大原野~その1
種別
なう
場所勝持寺
撮影日時2017年11月6日
おすすめ
ポイント
魅力ある京の南西部の風景
説明
大原野は京都の西南に位置し、都の東北の大原とほぼ対をなす。老の坂周辺を水源とする小畑川と善峯寺あたりから流れ出る善峰川に挟まれた扇状の地域で西は小塩山を中心とする山地で東は緩やかな傾斜地である。名刹も数多く点在するが、今回は大原野神社、正法寺、勝持寺グループの特色に焦点をあててみた。
勝持寺は天武天皇の御代に役行者の創建によると寺伝は語る。西行法師が当寺で出家し、植えた桜を西行桜と称し、寺を花の寺と呼ぶようになる。
瑠璃光殿(収蔵庫)には多くの仏像が安置されているが、本尊の薬師如来坐像は鎌倉時代の作で左手の薬壺から右手で薬を摘み取る姿が珍しい。そしてその胎内仏は10センチに満たない座像だが本体の台座も光背も白檀の一本造りという希少なもの。なお細川幽斎の「大原千句連歌」の舞台でもあり、木下長嘯子も西行を慕ってここに閑居した。
情報提供さくらがい
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